池坊専慶

  • 十二世
  • 寛正期(1460~65)を中心に活躍

池坊華道の元祖とされる人物です。文献上、花に関する事で最初に池坊の名が表れるのはこの専慶に関する記述です。

池坊専慶関連年表

寛正3年(1462)『碧山日録』に池坊専慶の名が見られる
慶長5年(1600)『百瓶花序』に池坊専慶に関する記述

『碧山日録』

京都にある東福寺の禅僧である太極の日記です。当時の様子を知ることができる貴重な文献資料とされています。その中に、春公という人物に池坊専慶が招かれて花を立て、それが京中の評判になったという記事があります。専慶以前も池坊は花をいけていたことは想像されますが、明確に文献上に表れるのはこの記述が最初です。

宿雨不晴春公招専慶挿花草於金瓶者数十枝洛中好事者来競観之

『碧山日録』寛正3年2月25日(1462年3月25日)

春公為王父霄岸設施食会与諸僧相会専慶来折菊挿於瓶皆嘆其妙也

『碧山日録』寛正3年10月20日(1462年11月11日)

『百瓶花序』

後代に書かれた『百瓶花序』には「名曰池坊累代以立華於瓶裡為家業其元祖専慶」という記述があり、当時から花の元祖を専慶とする意識があったことが伺えます。現在の池坊の系図では専慶は十二世に当たりますが、池坊を花の家と捉えた場合は専慶が元祖とされ、池坊中興の祖として位置づけられています。

池坊専慶関連人物

鞍智高春

足利幕府の直臣の武将です。いけばなの世界では池坊専慶を招き花を立てさせたことで有名です。上述の『碧山日録』に出てくる「春公」はこの鞍智高春であるとされています。