京都にある六角堂の住職は、境内の池のほとりに居を構えていた事からいつしか池坊(いけのぼう)と呼ばれるようになります。どのお寺でもそうしているように、六角堂でも常に本堂には花が供えられていました。いつしか、六角堂の池坊の立てる花は見事だという評判が立つようになり、池坊は花の宗家としての地位を確立します。
六角堂は伝説によると聖徳太子が創建したとされ、初代の住職に小野妹子が就いたと伝えられています。寺の歴史としては1400年以上ということになりますが、花の家として名前が出てくるのは室町時代、今から550年程前の事です。当時の池坊専慶が花の名手として文献に登場します。
江戸時代中期には家元制度が確立し、六角堂の池坊は代々今に至るまで花の家元として続いています。
池坊の系図について
慶長11年(1606)に相伝されたと言われる『座敷之飾花の子細家之極義秘本大巻上』に、その時点の専養までの「立花以来池坊代々」が13名記されています。このころは池坊の始祖は池坊専慶とされていました。
元文6年(1739)に池坊専純が『池坊立花正統系図』を作成します。ここで従来の系図から大幅な改変が行われ、それまでの系図に見えた人物が削除されたり新しい人物が加えられたりします。
さらに延享3年(1746)に、以前の系図と統合するような形で整理が行われ、「伝授次序」が記されます。この時点で、それまで始祖とされてきた専慶は12世と位置づけられ、初代は六角堂の開祖とされる専務(小野妹子)とされました。
「伝授次序」をもとにした歴代家元
- 専務
- 専能
- 専秀
- 専和
- 専勝
- 専照
- 専増
- 専明
- 専承
- 専栄
- 専誓
- 専慶
- 専慮
- 専盛
- 専言
- 専草
- 専來
- 専尊
- 専曙
- 専光
- 専倫
- 専諱
- 専諷
- 専琳
- 専意
- 専順
- 専鎮
- 専応
- 専存
- 専栄
- 専好
- 専好
- 専存
- 専養
- 専好
- 専純
- 専意
- 専純
- 専弘
- 専定
- 専明
- 専正
- 専啓
- 専威
- 専永
歴代家元の業績や逸話
歴代家元の業績や逸話を紹介します。池坊は最古の流派であるため、歴代家元の事績をたどる事で日本のいけばなの歴史が見えてくるのではないでしょうか。
※家元制度が確立するのは江戸時代中期頃で、それ以前の宗匠は家元とは名乗っていなかったと考えられますが、ここでは便宜上現在の家元と同じような立場にあったとして歴代家元として扱います。