池坊専存

  • 三十三世
  • 元和8年(1622)生、万治4年(1661)没

前代の二代専好没後わずか3年で、40歳の若さで亡くなっています。二代専好の存命中から後継者として活動をしていたようですが、単独での活動期間はほとんどないためにあまり活動の様子がわかっていません。

池坊専存関連年表

元和8年(1622)生誕
慶安元年(1648)夢窓疎石三百回忌で専好の代わりに立花を立てる
仙洞御所の茶会で、専好と共に立花を立てる
承応3年(1654)現行の『小巻』の原型となる伝書を相伝
万治4年(1661)逝去

二代専好との不和

後代に書かれた『立華聞書良禽抄』によると、一時期は二代専好と不和になり、伊勢国(現在の三重県)に下ったそうです。その後二代専好の高弟である高田安立坊周玉のとりなしにより、不和は解消され専存は京都に戻ったそうです。 京都に戻った後は慶安元年(1648)に相国寺の夢窓疎石三百回忌で専好の代わりに立花を立てたり、同年に仙洞御所(上皇の居所、この時代は後水尾上皇)での茶会で専好と共に立花を立てたりと、専好の後継者として活発に活動したようです。

『小巻』の原型

承応3年(1654)に専存によって相伝された伝書は、次の専養の代から相伝され始める『小巻』の原型となるものです。この『小巻』は現在でも門弟に相伝されており、池坊の大切な伝書の内の一つです。