いけばなに関することを中心とした年表です。
宣化天皇3年(538) | 仏教伝来 |
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用明天皇2年(587) | 聖徳太子により六角堂が建立される |
推古天皇元年(593) | 聖徳太子、摂政となる |
天平勝宝四(752) | 東大寺大仏開眼供養に蓮が用いられる |
延喜五(905) | 『古今集』に花を挿すという言葉が登場する |
長保三(1001) | この頃『枕草子』成る |
嘉承二(1107) | 薬師寺修二会に宮中より献花される、以来「花会式」と呼ばれるようになる |
保延六(1140) | 『鳥獣人物戯画』に蓮華の供養の図が描かれる |
延慶二(1309) | 『春日権現記絵』成る、供花や島台の図が登場 |
建武三(1336) | 室町幕府成立 |
観応二(1351) | 『慕帰絵』成る。押板床に花を挿した華瓶や縁外に島台が描かれる |
応永六(1399) | 足利義満、北山殿にて七夕の花合わせを催す。以後公家社会で盛んになる |
応永二十二(1415) | 仙洞御所にて宮方、挿花をする。この頃から立て花が行われる |
寛正三(1462) | 『碧山日録』に専慶の名 |
寛正五(1464) | 後花園天皇、後土御門天皇へ譲位 |
応仁元(1467) | 応仁の乱起こる |
文明八(1476) | 能阿弥『君台観左右帳記』成る |
文明九(1477) | 応仁の乱終わる |
文明十四(1482) | 銀閣創建 |
文明十八(1486) | 『花王以来の花伝書』成る |
明応九(1500) | 後土御門天皇崩御、後柏原天皇践祚 |
永正五(1508) | 専誓『老の春』著 |
永正八(1511) | 相阿弥『君台観左右帳記』成る |
大永五(1525) | 『二水記』に池坊の記述 |
大永六(1526) | 後柏原天皇崩御、後奈良天王践祚 |
享禄二(1529) | 『宗清花伝書』相伝される |
天文五(1536) | 専慈、『仙伝抄』相伝 |
天文十一(1542) | 専応、『池坊専応口伝』(群書類従本)相伝 |
天文十二(1543) | 専応没ポルトガル人が種子島に漂着、鉄砲を伝える |
天文十三(1544) | 『多胡家家訓』この頃成る |
天文十四(1545) | 専栄、『大巻並座敷飾荘厳図』相伝 |
弘治三(1557) | 後奈良天皇崩御、正親町天皇践祚 |
永禄六(1563) | 専栄、『池乃坊立花伝書』を江戸上野介通直へ相伝、常州へ下向か |
永禄七(1564) | 専栄、『花瓶図』を通直へ相伝 |
永禄十(1567) | 専栄『専応口伝』に「生花の事」の項を加えて弥右衛門尉へ相伝 |
永禄十一(1568) | 専栄、法眼に叙せられる信長、足利義昭を奉じ入京 |
天正元(1573) | 室町幕府滅ぶ |
天正七(1579) | 専栄没(天正十七年説も) |
天正九(1581) | 上井覚兼『伊勢守心得書』著、池坊を学んでいた旨の記述 |
天正十(1582) | 本能寺の変グレゴリオ暦の制定 |
天正十三(1585) | 秀吉の朱印状により、六角堂は一乗寺村に一石の領地を与えられる |
天正十四(1586) | 正親町天皇譲位、後陽成天皇即位 |
天正十五(1587) | 北野大茶会 |
天正十八(1590) | 秀吉が毛利邸へ御成、専好、松真と鶏頭真の立花を立てる |
天正十九(1591) | 千利休自刃 |
文禄三(1594) | 前田邸の大砂物前田邸の大砂物 |
文禄五(1596) | 後陽成天皇三宮(後の後水尾天皇)誕生 |
慶長三(1598) | 秀吉没 |
慶長四(1599) | 初代専好、大雲院にて百瓶大立花会を興行 |
慶長五(1600) | 月渓『百瓶華序』著関ヶ原の戦い |
慶長八(1603) | 江戸幕府成立出雲阿国、京都で歌舞伎踊りを始める |
慶長十一(1606) | 『極儀秘本大巻』成る |
慶長十六(1611) | 後陽成天皇譲位、後水尾天皇即位 |
慶長十八(1613) | 新内裏上棟 |
慶長十九(1614) | 大阪冬の陣 |
慶長二十(1615) | 大阪夏の陣『禁中並公家諸法度』制定 |
元和二(1616) | 家康没 |
元和六(1620) | 将軍秀忠の娘和子入内 |
元和七(1621) | 初代専好没 |
寛永元(1624) | 二代専好、七夕会に宮中にて立花を立てる |
寛永四(1627) | 紫衣事件 |
寛永六(1629) | 禁中で度々立花会が開かれる 後水尾天皇譲位、明正天皇践祚 |
寛永七(1630) | 『臥雲花書』刊 |
寛永十二(1635) | 鎖国令 |
寛永十四(1637) | 二代専好、法橋に叙せられる島原の乱 |
寛永二十(1643) | 明正天皇譲位、後光明天皇践祚 |
寛永二十一(1644) | 専存、二十三歳のときに花を立てた記録(『隔冥記』) |
承応三(1654) | 専存、『立華秘伝』を相伝、後の『小巻』の原形 後光明天皇崩御、後西天皇践祚 |
明暦三(1657) | 明暦の大火 |
万治元(1658) | 二代専好没(万治二年説も) |
万治四(1661) | 専存没、専養このとき七歳 |
寛文三(1663) | 後西天皇譲位、霊元天皇践祚 |
寛文五(1665) | 大住院、七夕会を強行 |
寛文十二(1672) | 『古今立花集』刊 |
寛文十三(1673) | 『六角堂池坊并門弟立花砂物図』刊 |
延宝四(1676) | 専養、継目御礼のため江戸参府 |
延宝六(1678) | 専養、永代門弟帳に入門者の記帳開始 『大住院立花砂物図』刊 |
延宝八(1680) | 後水尾院崩御 |
天和三(1683) | 十一屋太右衛門『古今立花大全』刊 |
天和四(1684) | 『立花正道集』刊 |
貞享元(1684) | 『抛入花伝書』刊「貞享暦」採用の宣下(施行は翌年から) |
貞享二(1685) | 『京羽二重』刊高田安立坊周玉没 |
貞享四(1687) | 霊元天皇譲位、東山天皇践祚生類憐みの令発布 |
貞享五(1688) | 『立花時勢上粧』刊 『頭書立華指南』刊 『立花秘伝抄』刊 |
元禄二(1689) | 芭蕉、奥の細道の旅に出る |
元禄三(1690) | 『人倫訓蒙図彙』に下草屋の記述この頃相伝形式が改められる |
元禄四(1691) | 東大寺大仏殿完成 |
元禄五(1692) | 猪飼三枝と藤掛以水、南都大仏殿開眼供養に松一色の立花を立てる |
元禄六(1693) | 『生花之次第』刊 |
元禄七(1694) | 井原西鶴『西鶴織留』刊、町人が立花の花材を集める様を批判 |
元禄八(1695) | 『生花聞書之絵図』刊 |
元禄九(1696) | 大住院没『元禄立花絵図』刊 |
元禄十(1697) | 専養、『古代生花図巻』、『立花聞書図』を校閲 |
元禄十一(1698) | 『新撰瓶花図彙』刊 |
元禄十二(1699) | 専養、『古代生花図巻』を相伝するという |
元禄十四(1701) | 専養隠退、専好(三代)継目御礼のため江戸へ下る |
元禄十五(1703) | 赤穂浪士討ち入り |
宝永五(1708) | 宝永の大火、六角堂焼失 『巻物相伝並折紙礼式之覚』 |
宝永六(1709) | 東山天皇譲位、中御門天皇践祚東山天皇崩御 |
宝永八(1711) | 専好(三代)、仙洞御所にて花を立てる(『寺内入組覚書』) |
正徳元(1711) | 専好(三代)、朱印改めのため江戸へ下向 専養の弟子、禅部口瓶子、尾州の姫君にいけばなの手本として『小叢花』を献上 専養没 |
正徳三(1713) | 六角堂再建 |
正徳五(1715) | 知恩院での家康百年忌法要で専好(三代)及び門弟が立花を立てる |
享保二(1717) | 『華道全書』刊、華道を表題にした最初の書 専好(三代)、朱印改めのため江戸へ下向 近松作『聖徳太子絵伝記』を竹本座で上演、立花用語が駆使されている場面がある |
享保八(1723) | 三代専好、会席法度を門弟へ示す |
享保九(1724) | 山科道安、『槐記』を記し始める |
享保十一(1726) | 三代専好隠退、専純継目御礼のため江戸へ下る |
享保十三(1728) | 六角堂開帳『けいせい亥刻鐘六角堂開帳』上演 |
享保十七(1732) | 享保の大飢饉 |
享保十九(1734) | 三代専好没 |
享保二十(1735) | 中御門天皇譲位、桜町天皇践祚 |
元文三(1738) | 『立華聞書良禽抄』刊 |
元文四(1739) | 専純筆『池坊立花正当系図』成る |
寛保元(1741) | 上野国厩橋藩主坂井忠恭、『生花巻』の相伝を受け永代門弟帳に記される |
延享三(1746) | 専純、将軍家重の御代替御礼のため江戸に参府 |
延享四(1747) | 桜町天皇譲位、桃園天皇践祚 |
寛延元(1748) | 『仮名手本忠臣蔵』初演 |
寛延三(1750) | 『専純生花図』刊、生花様式の芽生え |
宝暦四(1754) | 改暦の宣下、『宝暦甲戌元暦』 |
宝暦五(1755) | 直海衡斉著『広大和本草』に専意が序文を書く |
宝暦十(1760) | 専純隠退、専意六角堂住職及び家元を継承 |
宝暦十一(1761) | 専意、継目御礼のため江戸へ下る |
宝暦十二(1762) | 桃園天皇崩御、後桜町天皇践祚 |
明和二(1765) | 専意没、専純再住 |
明和三(1766) | 『当世垣のぞき』刊、生花流行の様子が記される |
明和四(1767) | 田沼意次、側用人となる |
明和六(1769) | 専定生誕 |
明和七(1770) | 後桜町天皇譲位、後桃園天皇践祚 |
安永三(1774) | 専純没前野良沢、杉田玄白『解体新書』著 |
安永四(1775) | 専弘、継目御礼のため江戸へ下る |
安永五(1776) | 専弘、『関東献上百瓶図』を偏し、田沼意次を通じて将軍家へ献上 『青楼美人合姿鏡』刊、町人へのいけばなの普及を示す |
安永八(1779) | 後桃園天皇崩御、光格天皇践祚 |
天明六(1786) | 専弘没、専定家元継承 |
天明七(1787) | 松平定信老中となる |
天明八(1788) | 京に大火、六角堂焼ける |
寛政九(1797) | 専定『新刻瓶華容導集』刊 改暦の宣下、『寛政戊午暦』 |
寛政十一(1799) | 『都林泉名勝図会』刊、七夕会の様子が描かれる |
文化元(1804) | 専定『根本生花百華式』刊 |
文化二(1805) | 生花入門新設 |
文化五(1808) | 『後百花式』刊間宮林蔵、樺太を探検 |
文化八(1811) | 六角堂再建 |
文化十二(1815) | 専定隠退、専明家元継承 生花会頭森文華著『生花随筆池坊緊要州』刊 |
文化十四(1817) | 光格天皇譲位、仁孝天皇践祚 |
文政三(1820) | 専定『挿花百規』刊 |
文政八(1825) | 鶴屋南北『東海道四谷怪談』初演 |
文政十(1827) | 関本理遊に松一色免許が相伝される |
文政十三(1830) | 席札の木札の寸法が制定される |
天保三(1832) | 専定没この頃、専明『生花株要記』成る |
天保八(1837) | 大塩平八郎の乱 |
天保十一(1840) | 専正生誕 |
天保十四(1843) | 改暦の宣下、『天保壬寅暦』 |
弘化三(1846) | 仁孝天皇崩御、孝明天皇践祚 |
嘉永六(1853) | ペリー浦賀に来航 |
安政元(1854) | 日米和親条約締結 |
安政五(1858) | 安政の大獄 |
万延元(1860) | 桜田門外の変 |
文久元(1861) | 専明隠退、専正家元を継承 |
元治元(1864) | 蛤御門の変 六角堂焼ける 専明没 専正、家茂上洛時にお目見え |
慶応二(1867) | 孝明天皇崩御 |
慶応三(1867) | 大政奉還明治天皇践祚 |
明治五(1872) | 太陽暦の採用、それに伴い五節句の廃止 |
明治六(1873) | 専正、第二回京都博覧会に出展 |
明治七(1874) | 七月七日の七夕会を後水尾院祭日の九月十一日に改め「旧七夕会」と称す |
明治九(1876) | 六角堂竣工 |
明治十二(1879) | 専正、京都府立女学校の華道教授を委嘱される |
明治二十七(1894) | 『華かがみ花心粧の巻』刊 |
明治三十(1897) | 『専明生花図』刊 |
明治三十六(1903) | 文部省より華道の教授法を統一するよう訓令 |
明治三十七(1904) | 専正、『華の志雄理』刊(後の『華かがみ生花栞の巻』) 日露戦争勃発 |
明治三十八(1905) | ポーツマス条約調印 |
明治四十一(1908) | 専正没、専啓家元継承 |
明治四十三(1910) | 大逆事件日韓併合 |
明治四十五(1912) | 明治天皇崩御、大正天皇践祚 |
大正三(1914) | 専啓、『池坊道しるへ』著 |
大正十二(1923) | 関東大震災 |
大正十五(1926) | 大正天皇崩御、昭和天皇践祚 |
昭和二(1927) | 『奥伝三ヶ條』成る |
昭和五(1930) | 『新興いけばな宣言』起草 |
昭和七(1932) | 東京連合花展開催、以降毎年春に現在に至るまで開催 『生花別伝』が成文化 五・一五事件 |
昭和十一(1936) | 二・二六事件 |
昭和十二(1937) | 日中戦争勃発 |
昭和十四(1939) | 『たちばな』創刊、後の『華道』の前身 |
昭和十六(1941) | 『たちばな』を『華道』に改名 |
昭和十八(1943) | 『細雪』起稿 |
昭和十九(1944) | 専啓没、専威家元継承 |
昭和二十(1945) | 専威没、専永家元継承敗戦 |
昭和三十五(1960) | この頃生花三種生け制定 |
昭和四十三(1968) | 川端康成ノーベル文学賞受賞、記念講演『美しい日本の私』の中に専応口伝の一節が引用される |
昭和四十七(1972) | 沖縄返還 |
昭和五十二(1977) | 生花新風体制定 |
昭和六十四(1989) | 昭和天皇崩御、平成天皇践祚 |
平成十一(1999) | 立花新風体制定 |