池坊専定

  • 四十世
  • 明和6年(1769)生、天保3年(1832)没
  • 在位 天明6年(1787)〜文化12年(1815)

三十九世専弘の甥です。不朽の名作『挿花百規』を残しました。

池坊専定関連年表

明和6年(1769)生誕
天明6年(1787)三十九世専弘逝去、六角堂住職を継ぐ
天明8年(1789)六角堂焼失
寛政9年(1797)『瓶花容導集』刊
寛政9年(1797)継目御礼のため江戸へ下向
文化元年(1804)『百花式』刊
文化2年(1805)「生花入門」新設
文化5年(1808)『後百花式』刊
文化12年(1815)隠退
文化14年(1817)「専定師一世納会」が催される
文政3年(1820)『挿花百規』刊
天保3年(1832)逝去

生花入門の新設

江戸時代も後半になると生花はますます盛んになります。立花の家である池坊では、生花も教えてはいましたがあくまで立花中心の伝授体系を持っていました。しかし、時代の流れに対応して、文化2年(1805)頃より「生花入門」を新設し、生花だけを習うことができるようになりました。

『挿花百規』

専定の生花の作品集です。大変な名作揃いで、現在でもとても人気があります。四条派の画家松村景文とその弟子横山清暉が絵を描いており、いけられた花はもちろん、絵としても美しい本です。専定の代にほぼ今の生花の原型が確立されました。