僕がいけばなを始めたわけとその後

よくいけばなを始めたわけを聞かれます。今の時代にいけばなをやっているというのがちょっと珍しく、また男性であればなおさらで、なぜだろうと思われるようです。

よくあるのは、親がいけばなの先生だったとか、家業が花屋で商売に必要だから習い始めたという理由です。僕の周りにもそういう方はたくさんいます。

僕はまったくの門外漢でした。家族や知り合いがいけばなをやっていたわけではなく、もともとそういうものに興味があったわけでもありません。

僕の場合はまったくの偶然です。大学に入学して、大学生活といえばサークル活動だろうと、いろいろなところに見学に行きました。その内の1つにいけばなのサークルもあったのです。興味本位で体験稽古に行ったところなんとなく面白くて、そのまま居ついてしまいました。いけばなをやろうと思って門を叩いたわけではなく、体験に行ったときも1回きりのつもりだったのですが、気がついたら習い始めていたのです。

さて、そのようにして特に自分で決断したわけではなく、いつのまにかいけばなを始めましたが、すぐに好きになりました。すぐにというか、最初の体験稽古のときにすでにいけばなに魅了されていたのだと思います。簡単な説明の後にとりあえず自分の好きなようにいけて、それを先生に手直ししてもらいます。先生が少し触っただけで花が見違えるようにいきいきして、驚いたのと面白いなと感じたことをなんとなく覚えています。花材がスターチスだったことまで記憶しているほどです。この時点でもういけばなにはまっていたのでしょう。正式に入会してからは、毎週の稽古が楽しみで仕方がありませんでした。

いけばなサークルといっても、やっていることは普通の稽古場と変わりません。池坊の先生をお呼びして毎週稽古をつけてもらっていました。そこに教えに来てくださっていた小俣里風先生が僕の師です。

サークルの仲間のほとんどは大学を卒業するといけばなから遠のいてしまうのですが、僕は大学生活が人より長かった分、いけばなに接する時間も長くなり、すっかりのめり込んでいて卒業後も続けようと決めていました。就職してからも師の元に稽古に通い、また京都へもいけばな修業へ行くようになりました。

そうやって、いけばなを長くやっているうちに、いけばなを教えてほしいとか、花をいけてほしいと求められることがときどきありました。そこで思い切って自分で教室を開いてみることにしました。

師匠に相談して、稽古場を貸してもらえることになり、自分でホームページを作って生徒を募集しました。最初の生徒が来てくれたのが2011年の5月です。少しずつですが生徒も増え、今では自分の稽古場を構えていけばな教室を運営しています。

2015年には池坊全米特派講師に選ばれ、3ヶ月間アメリカやカナダの各地でいけばなの指導をしてきました。そして、2017年から池坊中央研修学院研究員の任を拝命し、本部講師として全国を回っていけばなの指導をしています。いつの間にか、すごい仕事を任されるようになったものです。

思いかえすと、なんとなく行き当たりばったりでその場をやり過ごしているうちに、いつの間にかいけばなが生活の中心となっていました。今では毎日花をいけて暮らしています。